英語を習得するにはどうしても長い期間がかかってしまいます。そのため、途中で挫折してしまったり、モチベーションを保てなくなったりする人もいるでしょう。
しかし、せっかく英語をはじめたのですから止めてしまってはもったいないですよね。
そこで、みなさんのモチベーションアップのために、私の実体験から、英語が話せるとどんな楽しいことが起きたのかをお話ししてみようと思います。
すべての方にあてはまるというわけではないとは思いますが、モチベーションアップの手助けになると幸いです。
1人でどこでも自由に旅ができるようになった
私は度を超えた旅好きで、国内外を問わず毎月のようにどこかに旅をしています。
海外に行くときには、やはり英語が喋れた方が便利です。
英語が通じづらい国でも、大きな空港で働いている人たちは英語を話しますし、ホテルなどでも英語を使ってコミュニケーションをするようになります。
まだ私が英語がそれほど話せなかった頃、滞在していたイギリス国内でも自由自在に旅をするのはちょっと勇気がいることでした。
何事もなければ大丈夫なのですが、何かトラブルがあった場合には言葉の壁があるのでやっぱり不安ですよね。
今では、どんなことが起こっても英語さえ通じればどうにかなるので、海外にいても不安をそれほど感じません。
英語が話せるようになって、行動範囲が広がり、言葉がわからなくても何とか伝える方法もわかってきたので、英語が通じない場面でも、なんとかなるようになりました。
飛行機のアナウンスなんかは、日本語で聞いたのか英語で聞いたのかわからなくなるくらい、自然に理解できます。
ただ、スペイン語圏はホテルでさえも英語が通じなかったりするので、旅をするだけなら問題なくても、現地の人から情報を得ようと思うと難しいと思い、スペイン語習得中です。
友達が増えた
英語が話せるようになったことで、日本人以外とも深い会話ができるようになったので、結果的にとても親しいと言える友達が増えました。
考えてみれば、日本人とだけコミュニケーションが取れる場合と、英語を使ってコミュニケーションができる相手が増える場合とでは、後者の方が圧倒的に友達ができやすいですよね。
コミュニケーションができなければ、例え世界の中に親友になれそうな性格の人がいたとしても、友達になることはおろか、出会うこともないかもしれません。
そういう意味では英語が話せるようになって本当に良かったです。
そして、今スペイン語を習得中ですから、今後もどんどんその幅が広がって行くんだと思うとワクワクします。
考え方や物事に対する態度が変わった
英語を使うことによって、文化や宗教が違う人と深い会話ができるようになったことによって、世の中の見方がずいぶん変わりました。
世界には自分とは全く違う環境や教育の中で育ってきた人がいて、それぞれ自分たちの正義や信念に沿って生きているんだなー・・・とわかってくると、物事に対して寛容になれるようになりました。
私の住んでいたイギリスの首都ロンドンは移民が多く、多くの文化が交わって、それぞれの文化や宗教を大事にしながらもなんとなく共生しているようなそんな場所でした。何か事件が起こるようなことはあっても、一般人レベルではそこまで大きな問題になっているようなこともなく、インド人とネパール人が一緒に働いたり、イスラエル人とイラン人が同じクラスにいたり・・・なんてこともありました。
相容れなくても個人は別というか、「相手の考え方に賛同はできなくても存在は認める。」のような、そういう考え方、生き方ができるようになったのは、やはりそういう環境にどっぷり浸かっていたからなんですよね。
それを深く体験できるようになったのも、やはり英語がわかるようになって、周囲の人が言っていることや、テレビで放送されていることが理解できるようになったからなのですね。
これは私個人の性格的な部分もあると思うので、英語を習得した人すべてにこういう体験が待っているわけではないと思います。しかし、相手の考え方に賛同しなくても仲良くできるということは、本当に素晴らしいですし、ストレスフリーになるので、英語を習得したときには、ぜひそういう目線でたくさんの人と交流してほしいなーと思ったりします。
英語で書かれた文章を楽しめるようになった
文学って素敵ですよね。
日本語もとても美しい言語です。
日英翻訳をするときに、その美しさをどうしても殺してしまうこともあって、とてももどかしいのですが、同じことは英日翻訳にも起こっています。
つまり、英語で書かれた文章は日本語になったときに、英語であるからこその良さ・面白さが消えてしまっていることもあるのです。
ですから、英語がわかるようになって、英語のニュース記事や小説などをそのまま楽しめるようになったのは、すごく得だと思います。
個人的見解ですが、英語ではwit(ウィット)がとても重要視されているように感じます。このwitを日本語で説明するのは難しいのですが、例えば”He is witty.”というと、「彼はシャレがうまい」のような意味になるのですが、言葉を自由自在に扱って面白い感じとでも言えばいいでしょうか。
このwitを最大限に感じるためには、やはり英語を深く理解できないと難しいのですね。今でも完璧にいつも理解できるわけではありませんが、そこそこ真面目なニュース記事でも、witに富んだ記事を見て理解できると、なんだか嬉しくなります。
字幕がなくてもなんとか洋画・海外ドラマ・テレビ番組を楽しめるように
医学用語や科学用語がバンバン出てくるようなものだと、ちょっと理解が難しいのですが、英語がわかるようになったことによって、字幕がなくても洋画や海外ドラマが楽しめるようになりました。
なんだか意味がわからない・・・と思っても、聞いたことをそのまま復唱したり、書き起こしたりすることができるので、ネイティブの友人に訊いたり、自分で調べたりすることもできます。
大体の場合は、ローカルネタやスラング、その地域独特の言い回しのため、理解ができないのですが、この点については英語力というよりは文化的な背景などへの知見が必要なので、仕方ないでしょう。
最近は動画サイトで海外のさまざまなテレビ番組を見ることができるので、イギリス在住時に好きだった番組を見て楽しんでいます。
驚くことに、イギリス在住時よりも今の方がずっと自然に理解ができるので、現地に住んでいなければ高い英語力を身につけることは出来ないというわけでもなさそうです。
仕事のバラエティが増え、生活が豊かに
私は今フリーランスでのお仕事がメインで、ちょっとだけ外でも働きたくて英文事務のようなバイトもしています。
このバイトでは、英語はもちろんのことスペイン語を使うこともあり、翻訳もしますし、いつも楽しく働いています。
そして、フリーランスのお仕事も7割くらいは英語と海外旅行関連が関係しています。英語ができなかったら、こんな働き方で生計を立てることはできなかったでしょう。
ほとんどのお仕事がフリーランスなので、数週間海外に滞在するということもできます。旅行しながら仕事もすることにはなりますが、まるで現地に住んでいるみたいな感覚になるので、むしろ楽しんでいます。
まとめ
今回は英語が話せるようになったことがどんなに楽しいか、すべて私の体験についてお話ししてみましたが、いかがでしょうか。
こうしてみると、英語はただのコミュニケーションツールであって、目的ではないということが見えてくるのではないでしょうか。
英語習得自体を目的・ゴールにしてしまうと、やはりモチベーションは保ちづらいかもしれません。ですから、英語を使ってどんなことをしたいのかということを、思い描いてたまには妄想にふけることをおすすめします。
英語が話せると、本当にさまざまな幅が広がって、人生が豊かになって、楽しいですよ!