【観光地】フィリピンのマニラで古代遺跡観光しませんか!!

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フィリピンは、東京からたった5時間弱で行くことができる国です。日本とはまったく異なる文化を持ち、公用語のひとつとして英語が使われるという環境、そして様々な魅力を持ち、世界から訪れる旅行者の心を掴んでいます。

ところで、フィリピンの魅力のひとつに古代遺跡や歴史的施設があることを知っていますか?この記事では、首都マニラを中心に遺跡などを紹介します。まずは、マニラという街の紹介と治安からみていきましょう。

フィリピンのマニラとはどんな街?

フィリピンという共和国には、美しいビーチ、西海岸のリゾート・セブであったり、ローマ法王も訪れる権威ある教会マニラ大聖堂など、有名な場所が多くあります。

まずは、都市マニラについて紹介します。

マニラの概要

マニラ(Manila)はフィリピンの東に位置し、正式名称は「メトロマニラ」になります。メトロマニラはマニラ市を含め17の行政が集まったものですが、この名称を知っている人はそう多くはないかもしれませんね。
自国通貨はペソで、フィリピン人の平均月収は約303.46米ドルと言われています。

マニラの歴史

東南アジアにあるフィリピンは16世紀まで、スペインの統治下にある植民地でした。マニラは16世紀末からフィリピンの首府となりましたが、その後は第2次世界大戦下の日本軍支配、アメリカによる再植民地化など悲惨な歴史を持ち、1946年に独立します。この大きな転機の後も、マニラは首都であり続けています。

マニラの治安

海外に行く際、その国の治安について調べることは重要です。マニラには多くの外国人が訪れますし、魅力を感じ複数回訪れるリピーターもいます。それだけに、スリや置き引きといった観光客狙いの犯罪が多発しますので、十分注意する必要があります。

マニラの詳しい治安に関しては、本ブログの以下の記事を参考にしてください。
https://nativecamp.net/blog/20240318-peanut

マニラの古代遺跡

マニラ観光の合間に、時代のロマンを感じながら遺跡を歩くことは、楽しいアクティビティのひとつです。ちなみに、遺跡の英語は remains やruinで表現します。

さっそく、マニラの古代遺跡を紹介します。

イントラムロスエリア/ Intramuros

マニラ市にパシグ川が流れ、その南岸にイントラムロスという歴史的な地域があります。イントラムロスとは「壁の内側」を意味し、スペインがフィリピンを統治するために7つの門を持つ城塞都市として造ったエリアです。このため、その時代の文化の影響が色濃く残っています。このエリアでは重要な建築物などを訪れることができます。

食事も、スペイン風フィリピン料理店などのグルメを堪能できます。

サン・アグスチン教会/ San Agustin Church

フィリピン最古の石造りのサン・アグスチンは、マニラで唯一登録されている教会です。ぜひ、バロック調の美しい建造物をお楽しみください。

バロック様式とは建築用語であり、豪華な装飾、曲線・楕円が多く使われた煌びやかなデザインが特徴です。権力と富を象徴する様式と言われており、サン・アグスチン教会を訪れれば、それらを目の当たりにすることができます。パリから取り寄せた大きなシャンデリアや、イタリア人アーティストによる祭壇や壁画は一見する価値があります。

マニラ大聖堂/ Manila Cathedral

1571年創建のマニラ大聖堂も必見です。度重なる戦争や天災で破壊と再建を繰り返してきた歴史を持つ教会です。ドーム型の屋根、フィリピンの国教がキリスト教になったお祝いとして作られたステンドグラスの窓が印象的であり、フィリピンの人々にとって大切な教会です。

教会を訪れる際には、お祈りをする人々の邪魔にならないよう静かにするといった気配りをすることが大切です。

戦時中の施設や建物

1941年、日本軍はアメリカの領域だったフィリピンのルソン島へ上陸、1942年1月にマニラを陥落させます。これに対し、フィリピン人は激しいゲリラ戦で抵抗運動を行なったものの、日本軍はゲリラ討伐を理由に残虐な作戦を実行したのです。結果、3年8ケ月にも及ぶ軍政が行なわれたのです。

英語を学習している人は、歴史も理解することが大切でしょう。

このような歴史から、マニラ市内には戦争の痕跡を残す施設や建築物が多く残っています。ネルソンタワーと呼ばれる、山下奉文大将が降り立った飛行場の管制塔、フィリピン空軍の博物館、マニラ憲兵隊本部のサンチャゴ要塞や第12陸軍病院跡などなどです。マニラ内には、これらを日本人のガイドと巡るツアーもあります。

マニラ以外のフィリピンの史跡

フィリピンの歴史を理解するために欠かせないのは、スペインによる統治時代です。15世紀ごろはイスラム教が伝わり、多くがイスラム化します。しかし、大航海時代の1521年、スペインがマゼランをフィリピンへ派遣したところから統治時代が始まりました。

このため、フィリピン国民の約83%がカトリック、その他のキリスト教が10%、そしてイスラム教が5%という内訳になり、史跡もスペインや宗教に関連したものが多くなっています。

フィリピンには現在、世界文化遺産3件、世界自然遺産が3件登録されています。ここでは、マニラ以外でフィリピンに存在する古代遺跡を紹介します。

フィリピンのバロック様式教会群

パオアイ教会、サンタ・マリア教会、ミアガオ教会、そしてすでに紹介したマニラのサン・アグスチン教会、これらを「フィリピンのバロック様式教会群」と呼び、全て世界文化遺産に登録されています。

フィリピンのバロック様式教会群はスペイン統治時代を感じるとともに、中国や東南アジア各地の影響を受けているものもあり、海外ならではの建築様式を味わうことができます。

パオアイ教会/ Paoay Church

1993年に世界遺産に登録、正式名称はセント・オーガスチン・パオアイ教会です。”地震のバロック”という名前を持ち、地震や台風などの自然災害にも耐えられるような造りになっています。建築の様式は、東南アジアのマジャパピト帝国の影響を受けています。

※マジャパピト帝国とは、1293年~1478年までジャワ島中東部を中心に栄えたインドネシア最後のヒンドゥー教王国。

サンタ・マリア教会/ Santa Maria Church

巨大な赤レンガ造りが印象的な教会です。教会までは石段を登っていきますが、小高い丘に位置するため、サンタ・マリアの街が一望できます。

ミアガオ教会/ Miagao Church

1797年、スペイン統治時に建てられたローマ・カトリック教会です。当時、要塞としての役割を持っていました。バロック様式に、中国・フィリピンの様式がミックスされた珍しい教会です。訪れる機会があれば、左右の鐘楼の形が違うところをぜひご覧ください。

ビガン歴史地区/ Vigan Historic Town

16世紀のスペイン統治時代に造られた街並みがそのまま残るのが「ビガン歴史地区」です。スペインにいるかのような錯覚に陥るほどで、石畳でできた目抜き通りクリソロゴ通りの両側にはカフェ、レストラン、ホテル、アンティークショップやおみやげ屋などが集まっています。カレッサと呼ばれる馬車も行き来し、映画の一幕のように素敵な雰囲気があります。時がとまったかのように、当時のフィリピンを街を丸ごと感じることができるのでおすすめです。

セブ道教寺院/ Cebu Taoist Temple

ここでは紀元前600年の中国の老子(ろうし)を祭った寺院をみてみましょう。

老子といえば、中国の哲学者であり思想家です。高いところから低いところへと水のようにサラサラと流れ、どんな形の器にも添う柔軟な生き方が最善であると説きます。老子は道教の基盤となる「道徳経」を残しました。道教とは、中国三大宗教の一つ、他は仏教と儒教です。

この老子を祭っているのが、セブ市の丘陵地帯にある高級住宅街ビバリーヒルズに位置するセブ道教寺院です。寺院は、赤と緑を基調とした建築様式が他の教会との違いを大きく感じます。本堂、願いの泉、七重の塔、大広間などの見どころ、そして天気がよければマクタン島まで見ることができる見晴らしの良さが魅力となっています。

ミンタル日本人墓地/Japanese Cemetery in Mintal

ミンタルという地域には、かつて日本人の町がありました。1900年代前半のことです。この町はダバオ市中心から西へ車で約30分で行くことができ、墓地には「在留先亡同胞霊塔」「比国日本人会貢献之塔」「戦争犠牲者の慰霊碑」といった石塔があります。

今でも日本人のお墓が残っており、戦後はフィリピン人の墓地となっています。現在も、8月15日の終戦記念日に多くの人がお参りに訪れる場所です。

まとめ

海外を訪れる際には、その歴史を知ることが大きな魅力のひとつです。

今回は、フィリピンがどのような歴史をたどってきた国なのか、それらの影響を色濃く残すマニラのイントラムロスエリア地区、世界遺産登録のバロック様式の教会といった遺跡などを紹介しました。遺跡と言っても、今も地元の方々にとって親しみのある場所でもあります。

フィリピンで英語を使う旅をするとともに、背景を知ることでさらに有意義な時間にするようご参考にしていただければ幸いです。

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