プロフィール

Ko-Hey
日本
役に立った数 :3
回答数 :2,716
質問数 :0
英語系資格
海外渡航歴
自己紹介
はじめまして!私はKo-Heyと申します。
英語の質問に日々答えている現役英語学習者です!
アメリカ生まれで、現地の教育を受けたことから、ネイティブ・スピーカーとしての質問への回答や対話力をお手伝いできます。
文学、科学、ポップカルチャーなど幅広いジャンルに関する英語の質問に対応し、文法からスラング、慣用句まで幅広くサポートいたします。
英語を学ぶ上での悩みや障壁を共有し、お互いに向上していくことを喜びに感じています。 どんな質問でもお気軽にお寄せください。
一緒に英語力をもっと高めていきましょう!

The paths are diverging here. Which course should we take? 「ここで道が分かれてるね。どのコースにしよう?」 「Ways part/Paths diverge」は字義通り「道が分かれる」を表します。人生の選択肢や意見の相違など、人々が別々の方向へ進む状況を象徴的に示します。ある状況で二人以上が異なる意見を持つときや、人生の岐路に立つときなどに使えます。また、友人関係が終わる時や恋愛関係が終わる時に、それぞれが別の道を歩むことを表すためにも使われます。 We're at a crossroads. Which trail should we take? 「交差点に来たね。どのコースに行こう?」 We've come to a fork in the road. Which path should we take? 「道が二つに分かれているね。どちらのコースに行く?」 Crossroadsと"Fork in the road"は比善的な表現としてよく使われ、2つ以上の選択肢から選ぶ決定を表します。"Crossroads"は主に人生やキャリアの重大な決定を指し、選択が生活全体に大きな影響を与えることを示唆します。一方、"Fork in the road"は小さな決定や日常的な選択を指すことが多く、通常、どちらの道を選んでも結果は大きく変わらないことを示します。

That's what I thought. So I've already printed it out for you. 「そう思ってたよ。だからもう印刷しておいたんだ。」 「That's what I thought」は、「それが私が思っていたことだ」と直訳しますが、日本語では「やっぱりそうだと思った」「思った通りだった」といったニュアンスがあります。誰かが自分が以前から考えていたことや予測していたことを確認または実証したときに使います。例えば、予想通りの結果が出た時、自分の考えを他人が認めた時などに使えます。 "I figured as much. That's why I already had the picture printed." 「そう思っていたよ。だから、もう写真は印刷しておいたんだ。」 I suspected as much. I've already printed out the photo of your pet. 「そう思っていました。すでにペットの写真を印刷しておきましたよ。」 I figured as muchと"I suspected as much"は非常に類似した意味を持っていますが、ニュアンスは微妙に異なります。"I figured as much"は、情報が以前に既知であったか、またはその結論を推測できるだけの証拠があった場合に使用します。一方、"I suspected as much"は何かが起こると予想していたが、それを完全に確信しているわけではなかったときに使われます。また、"suspected"は"figured"よりも少しフォーマルな響きがあります。

It feels like Indian summer, even though it's winter. まだ冬なのに小春日和みたいだね。 「Indian summer」は比喩的な表現で、秋に一時的に暖かくなる期間や、人生の晩年にみられる活力や若々しさを示す言葉です。もともとは北米起源で、一般的には10月後半から11月初めの間に起こります。一旦秋の涼しさが訪れたあとに、再び夏のような暖かさが戻る現象を指します。人生に例えるときは、晩年になってからの活躍や成功を祝う表現として使われます。例)彼は70歳を過ぎてからの最新作でアカデミー賞を獲得し、まさに「Indian summer」を迎えたと周囲から称賛された。 It feels like a mild autumn weather today, even though it's still winter. まだ冬なのに、今日は小春日和のようだね。 It's like baby spring weather today, isn't it? 今日はまるで小春日和だね。 Mild autumn weatherは、秋の穏やかな天候を指します。適度な温度、晴れた日、葉が色づく風景などを想起させます。一方、"Baby spring weather"はあまり一般的な表現ではありません。しかし、これを使うとすれば、春の初めの、まだ何となく肌寒いけれども新しい生命が芽吹くような天候を指すでしょう。ただし、その用法は非常に限られ、「baby」が「mild」や「gentle」といった意味合いで使われることは一般的ではありません。

I didn't have time to watch it all at once, so I tried dividing it into two levels. 一気に見る時間がなかったので、ビデオを2回に分けて見るようにしました。 「Try dividing it into two levels」とは、物事を2つのレベルや段階に分けて考えるよう提案するフレーズです。これは複雑な問題や計画をシンプルにするために使われます。 使用シチュエーションとしては、例えば、プロジェクトの計画立案時や問題解決の際に、一度に全てを詳細に考え過ぎて混乱してしまった場合など。このフレーズを用いて、物事を大きな視点と小さな視点、あるいは短期と長期の2つのレベルにわけて考えるよう提案することができます。 "I couldn't watch it all at once, so I tried breaking it down into two stages." 一気に見る時間がなかったので、ビデオを2回に分けてみました。 I didn't have time to watch it all at once, so I tried separating it into two tiers. 一気に見る時間がなかったので、ビデオを2回に分けてみました。 Try breaking it down into two stagesは、問題やプロジェクトを2つのフェーズまたはステップに分けて処理することを提案するときに使われます。一方で、"Try separating it into two tiers"は、あるものやシステムを2つの異なるレベルや階層に分けることを提案する場合に使われます。前者は順序的な手順を、後者は階層的な構造を強調します。

I woke up to a shouting match with the guy I've been crazy about since love at first sight, only to realize his true colors. 一目ぼれした彼にずっとずっと夢中だったのに、彼との罵り合いで目が覚めて、彼の本当の性格を目の当たりにしたわ。 「I woke up to a shouting match.」は、「大声で口論している人々の声で目が覚めた」という状況を表しています。通常は朝、自分が起きる前に家族や隣人などが大声で口論しており、その騒音で目覚めるといった場面で使われます。どこかで怒鳴り合いが勃発し、その音でひとりが目覚めるというニュアンスです。 "I was jolted awake by a screaming match with him, the guy I've loved since I first laid eyes on him." 「目をつけた瞬間からずっと好きだった彼との大げんかで目が覚めたわ。」 I was rudely roused from my sleep by a heated exchange of insults with him, the guy I've been hopelessly in love with since the first time I laid eyes on him. His true colors have shown at last. 「一目惚れして以来ずっと好きだった彼との激しい罵り合いで無理矢理目覚めさせられた。ついに彼の本性が明らかになったわ。」 両方のフレーズは非常に似ていますが、細かな違いがあります。 「I was jolted awake by a screaming match.」は、一般的に急に目を覚ました状況を表しており、大きな音や怒鳴り声などによるものを指すことが多いです。 一方、「I was rudely roused from my sleep by a heated exchange of insults.」は、もっと具体的な状況を指しています。これは誰かが罵り合っている音によって乱暴に目覚めた状況を表しています。 要するに、前者は大きな音による目覚めを、後者は特定の行動、つまり罵り合いによる目覚めを指しています。