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Ko-Hey
日本
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自己紹介
はじめまして!私はKo-Heyと申します。
英語の質問に日々答えている現役英語学習者です!
アメリカ生まれで、現地の教育を受けたことから、ネイティブ・スピーカーとしての質問への回答や対話力をお手伝いできます。
文学、科学、ポップカルチャーなど幅広いジャンルに関する英語の質問に対応し、文法からスラング、慣用句まで幅広くサポートいたします。
英語を学ぶ上での悩みや障壁を共有し、お互いに向上していくことを喜びに感じています。 どんな質問でもお気軽にお寄せください。
一緒に英語力をもっと高めていきましょう!

We'd like to share this roast beef, could we have a plate, please? このローストビーフをシェアしたいので、お皿をいただけますか? 「Could I have a plate, please?」は、直訳すると「お皿をいただけますか?」となります。レストランや家庭内で食事をする際に、自分の前にお皿がないときに使う表現です。また、パーティーなどで食べ物を取るためのお皿が必要な時にも使えます。敬語を使っているので、丁寧な表現と言えます。 We'd like to share this roast beef. May I get a plate, please? このローストビーフをシェアしたいので、お皿をいただけますか? Could you pass me a plate, please? We'd like to share this roast beef. このローストビーフをシェアしたいので、お皿をいただけますか。 「May I get a plate, please?」は、自分自身が皿を取りに行く意図を示しています。一方、「Could you pass me a plate, please?」は、相手に皿を手渡してもらうように頼んでいます。前者は自分で行動する意向を表し、後者は他人に何かをしてもらうための依頼を示します。

I only have a vague recollection of what happened last time, so you might want to ask someone else. 前回何が起こったのかはうろ覚えなので、他の人に聞いた方がいいかもしれません。 「A vague recollection」は「ぼんやりとした記憶」という意味で、完全には思い出せないが、何かの記憶が曖昧に残っている状態を指します。このフレーズは、過去の出来事や人々、場所について話す際に使われます。例えば、子供の頃に訪れた場所について話すときや、長い間会っていない友人について述べるときなどに使えます。あるいは、ある出来事を完全には覚えていないが、一部分を曖昧に覚えているときにも使われます。 I have a fuzzy memory of what happened last time, so you might want to ask someone else. 前回何が起きたかはうろ覚えなので、他の人に聞いた方がいいかもしれません。 I only have a hazy recollection of what happened last time, so you might want to ask someone else. 前回何があったかはぼんやりとしか覚えていないので、他の人に聞いた方がいいかもしれません。 「A fuzzy memory」と「A hazy recollection」はともに思い出がはっきりと思い出せない、曖昧な記憶を指す表現ですが、微妙な違いがあります。「A fuzzy memory」は一般的に情報の詳細が不明瞭またはあいまいで、全体像がぼんやりとした情報を指します。一方、「A hazy recollection」は、記憶が霧に包まれ、全体的に不明確であることを指すより強い表現で、特定のイベントや経験への思い出が時間の経過によりあいまいになった状態を指すことが多いです。

I am raising my child with disabilities as they are, accepting things as they are because I consider it a part of their unique personality. 私の子どもには障害がありますが、それも彼らのユニークな個性の一部と考えているので、ありのままを受け入れて育てています。 「Accept things as they are」は「物事をそのまま受け入れる」という意味で、現状を変えることができない時や、物事が思い通りに進まない時に使われます。また、自分自身や他人の性格・能力をそのまま認め、受け入れるときにも使えます。現実を直視し、納得するニュアンスが含まれています。 We're choosing to embrace reality as it is. Our child has a disability, but we see it as a part of their unique personality. 私たちは現実をそのまま受け入れることを選びました。我が子には障害がありますが、それも彼らのユニークな個性の一部と考えています。 I believe that my child's disability is just part of who they are, so I'm just taking it as it comes. 私の子供の障害は彼ら自身の一部だと信じていますので、それをありのままに受け入れ育てています。 「Embrace reality as it is」は、現状を受け入れる、適応するという意味で、不快な事実や困難な状況がある場合に使います。反対に「Take it as it comes」は、事態がどのように進展するか予測できない時や、何が起こるか分からない未来に対してフレキシブルに対応しようという意味で使います。よって、前者は現状への受け入れ、後者は未知への対応力を強調します。

Aside from Japanese restaurants, where would you recommend eating? 日本料理のレストラン以外で、どこで食事をすることをおすすめしますか? 「Aside from」は、「~を除いて」「~以外に」などの意味を持つ英語の表現です。ある要素や項目を例外として、それ以外の全てまたは一部を指す際に使用します。また、「~を別にすれば」「~はさておき」などの意味もあります。 例えば、「Aside from the rain, the event was brilliant」(雨を除けば、イベントは素晴らしかった)のように使用します。また、「Aside from you, who else knows about this?」(あなた以外に、これを知っている人は誰ですか?)のように、特定の人物や要素を除外した質問をする際にも用いられます。 I like all fruits other than bananas. バナナ以外の全ての果物が好きです。 Apart from math, what subjects do you enjoy studying? 「数学以外で、何の科目が好きですか?」 "Other than"と"Apart from"はほとんど同じ意味で用いられますが、微妙なニュアンスの違いがあります。"Other than"は除外や例外を強調するのに使われ、"Apart from"は除外する要素に加えて他にも要素があることを示すのに使われます。例えば、"Other than apples, I hate all fruits."ではリンゴ以外の果物は全部嫌いと強調しているのに対し、"Apart from apples, I also like oranges."ではリンゴ以外にもオレンジが好きという追加情報を提供しています。

He was so blinded by desire for the promotion that he didn't consider the consequences. 彼は昇進への欲望に目がくらんで、その結果を考えることができなかった。 「Blinded by desire」という表現は、「欲望に目がくらんでいる」という意味で、強い欲求や欲望によって、物事の真実や現実を見失ってしまっている状況を指します。これは恋愛感情や物欲、野心など、様々な欲望に対して使うことができます。例えば、恋人に騙されているのにそれを認識できない人、高額な商品を必要もないのに買ってしまう人、目先の成功に固執して大事なものを見失う人などに対して使えます。 He was so lost in desire for wealth that he forgot his morals. 彼は富への欲望に目がくらんで、道徳心を忘れてしまった。 He was so consumed by desire for wealth that he lost sight of his values. 彼は富への欲望に取り憑かれて、自身の価値観を見失ってしまった。 "Lost in desire"は、欲望に心を奪われ、その感情に深く没頭している状態を表します。感情が非常に強く、他のことに集中するのが難しいほどです。一方、"Consumed by desire"は、欲望によって自分自身が飲み込まれてしまうほどの強烈な欲望を表します。この表現は、欲望が人を支配し、その人の行動や思考を完全にコントロールしてしまう状態を示しています。