プロフィール
miyashum
英語アドバイザー
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自己紹介
皆さん、こんにちは!私の名前はmiyashumです。私は現在、エストニアに住んでおり、イタリアでの留学経験を持っています。この異文化環境での生活経験は、私の英語教育方法に多様な視角をもたらしています。
イタリアでの留学体験は、非英語圏での英語習得の貴重な洞察を提供し、私の教育アプローチに大きな影響を与えました。異文化との交流は、私の教育スタイルに独自性と柔軟性をもたらしています。
英検では最上級の資格を取得し、これは私の英語に対する深い理解と応用能力を示しています。また、IELTSでスコア7.5を獲得し、アカデミックおよび国際的なコミュニケーションスキルが高いことを証明しています。
皆さんの英語学習に対して、私は文法、語彙、発音の改善から実用的な会話技術の向上に至るまで、幅広くサポートします。私の国際経験と専門知識を生かし、皆さんの英語学習をサポートし、新しい発見を一緒に楽しむことを楽しみにしています!
This is a once in a lifetime opportunity, known in Japanese as ichigo ichie, a concept originated from Sen no Rikyu, the tea master. Back in the war-torn era when he lived, life was so uncertain that you never knew when you would meet again. これは一期一会、日本語でいうところの一度きりの機会です。これは千利休という茶道の師から生まれた概念です。彼が生きていた戦乱の時代は、次に会えるかどうかもわからないほど命の不確定性が高かったため、この言葉が誕生しました。 「Once in a lifetime opportunity」は、「一生に一度だけの機会」という意味で、殆どの人が経験しないような貴重な、または特別な機会について言う際に使用します。例えば、大きなライブイベントに参加するチャンスや、特定の著名人に会う機会、本当に大きな仕事の提案などを指します。このフレーズは、どうしてもその機会を逃さないよう人々に促す意図も含んでいます。 Seize the day is usually used to express the concept of Treasure every encounter, for it will never recur, a teaching attributed to Sen no Rikyu from the warring period in Japan. 「Seize the day」は通常、戦国時代の千利休から伝わる「一期一会」、すなわち「出会いを大切にせよ、なぜならそれは二度と起こらないから」の概念を表現するのに使われます。 Sen no Rikyu, who began the practice of tea ceremony, once said Cherish every moment. This phrase was born in the Warring States period, a time when one never knew when they might lose their life, a time when you never knew when you could meet again. This is termed as one time, one meeting in English. 茶道を始めた千利休は、「一瞬を大切にする」と言いました。この言葉は戦国時代、いつ命を落とすかわからない時代、次に会えるかわからない中で生まれました。日本語では「一期一会」と言いますが、英語では「一度きりの出会い」と言います。 Seize the dayは、積極的に行動を起こし、その日その日を精一杯生きることを促す表現です。例えば、新しい機会やチャレンジに直面した際に使われます。「Cherish every moment」は、一瞬一瞬の時間を大切にし、価値を認識することを強調します。別れや特別な出来事の後など、感謝や感動を表現する際に使われます。両者は共にポジティブなメッセージですが、前者はより積極的なアクションを、後者は感謝や洞察を促します。
It's better to ask and be embarrassed once than to never ask and be embarrassed forever. 「一度聞いて恥ずかしい思いをするより、何も聞かずに一生恥ずかしく思うことの方が遥かに恥ずかしいですよ。」 このフレーズは、「一度だけ恥ずかしい思いをしてでも質問をする方が、質問をせずにずっと恥ずかしい思いをするよりマシだ」の意味が含まれています。不確かなことや理解できないことがあるとき、それを質問することで一時的に恥ずかしさを感じるかもしれないけれど、質問をしないと永久にその答えを知らないままであるという意味もあります。たとえば、学校の授業や職場でのミーティングなどでわからないことがあるときなどに使える表現です。 英語で聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥は、There's no such thing as a stupid question.と言います。これは、無知のままでいるよりも質問して学ぶ方が良いという意味です。 You know, there's a saying: He who asks is a fool for five minutes, but he who does not ask remains a fool forever. Even if you feel embarrassed to ask a question, that embarrassment is only temporary. It's much more embarrassing to go through life without ever knowing the answer. ある格言があります。「質問する者は5分間だけ愚か者だが、質問しない者は永遠に愚か者となる」。知らないことを聞くことが恥ずかしくても、その恥ずかしさは一時的なものです。一生知らないまま生きる方が、ずっと恥ずかしいことなのです。 "There's no such thing as a stupid question"は、疑問を持った時にそれを尋ねることを奨励する表現です。主に教育や学習のコンテクストで使われ、自身の理解を深めるために何でも聞くべきであることを示しています。 一方で、"He who asks is a fool for five minutes, but he who does not ask remains a fool forever"は、恥ずかしさや自尊心を理由に質問を避ける人々に向けたものです。短時間の恥ずかしさは、恒久的な無知よりもましだというメッセージを伝えています。これはより広い範囲のシチュエーションで使用されます。
Let's sit down and face each other here. ここで座って向かい合いましょう。 「Face each other」は直訳すると「お互いに向かい合う」となります。物理的な状況、つまり二人または二つの物が直接向き合っている状況を表すのに使われます。また、フィギュラティブな意味も持ち、対立や競争をしている関係性を示すときにも使われます。例えば、ビジネスやスポーツなどで競争相手と対峙する状況などです。なお、人々が対話やディスカッションをするとき、直面する問題について話し合う意味でも用いられます。 Let's confront each other at the restaurant. レストランでお互い向き合って座りましょう。 Let's square off against each other at the table. テーブルでお互いに向かい合って座りましょう。 "Confront each other"と"Square off against each other"は似た意味を持つが、微妙な違いがある。 "Confront each other"は一般的に二人以上が直接対立し、思いを述べ合う状況を指す。これは友情や家族間で生じる誤解や衝突を解決するための個人間対話または議論を指すことが多い。 一方、"Square off against each other"はより競争的な状況を指す。試合、競争、または具体的な対抗状況で使われる。これはスポーツイベント、訴訟、または選挙戦など、結果が明確に勝者と敗者を決定する状況で使われることが多い。
In our school, I volunteered as a Crossing Guard, where I went to serve as the school flag monitor for elementary students, ensuring their safety while crossing the streets. うちの学校で、私は交通安全員としてボランティアし、小学生たちの登校の安全を確保するために学校の旗の監督役を務めました。 この文は、筆者が小学生たちのために学校の旗当番として働いたことを述べています。シチュエーションとしては、学校の運動会や行事、毎朝の始業式など、旗を掲げるような場面が考えられます。ニュアンスとしては、責任感、公共心、誇りなどが感じられます。また、子どもたちを見守り、サポートする大人の役割を果たしているという点も伝わります。 I went to perform my duties as a flag bearer for elementary school students to ensure their safety while crossing the streets on their way to school. 小学生たちが学校への道のりで道路を安全に渡ることができるように、私は旗持ち当番としての役割を果たしました。 I went to oversee the crossing guard duties for elementary students with yellow flags. 私は、黄色の旗を持っている小学生の交差点がらでもの安全促進のための旗当番の監督に行きました。 I went to perform my duties as a flag bearer for elementary school students は自分が直接旗を掲揚する役割を果たすことを指します。一方、"I went to oversee the flag raising duties for elementary students"は、自分が他の人(ここでは小学生)が旗揚げの任務を適切に行うことを監督、指導、または管理することを示します。したがって、前者は行動を行う人を、後者は行動を監督する人を指します。両者は、個々の職務や役割に関連しています。
The situation with the COVID-19 variants and vaccines seems like a cat and mouse game. COVID-19の変異株とワクチンの状況は、猫とネズミのゲームのように思えます。 「Cat and mouse game」は直訳すると「ネコとネズミのゲーム」で、この表現は一方が他方を追い詰め、その後者がうまく逃れたりする、追いかけっこのような状況を指すことが多いです。この表現は特に、権力を持っている者が弱い立場の者をコントロールまたは威嚇する様子を例えるのに使われます。犯罪者と警察の追いかけっこや、政治的な駆け引きなどにも使えます。 The new variants of the virus and our vaccination efforts seem to be in a vicious cycle. ウイルスの新しい変異株と我々のワクチン接種の努力は、悪い循環のように思えます。 The situation with the coronavirus variants and vaccines seems like we're just chasing our own tails. コロナウイルスの変異株とワクチンの状況は、まるで自分自身の尻尾を追いかけているようだと言えます。 "Vicious cycle"は、悪化する一連の出来事を指し、一つの問題がほかの問題を引き起こし、その結果が最初の問題を悪化させるという状況を表すので、主に問題やネガティブな状況を説明するのに使われます。「彼は仕事に疲れて飲みすぎ、次の日に仕事ができない。これが悪循環だ。」など。 一方、"Chase your own tail"は、自分自身の尾を追いかける、つまり、無駄な努力をし続けて全く進歩しないことを意味します。目標達成の考え方や、仕事の進行について話す時によく使います。「彼はただ自分の尾を追いかけているだけだ」など。