プロフィール
Shiho
英語アドバイザー
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英語系資格
海外渡航歴
自己紹介
こんにちは、私の名前はShihoです。現在はオーストリアに住んでおり、異文化環境での生活を通じて英語教育に取り組んでいます。この国際的な経験は、私の教育方法に新たな視野をもたらしています。
私はスペインで留学した経験があり、そこで得た知見は、英語を第二言語として習得する際の挑戦と魅力を深く理解させてくれました。異文化との触れ合いは、私の教育哲学に重要な要素を加えています。
英検においては、最高レベルの資格を保有しています。これは、私の英語に対する深い理解力と表現力を示しています。加えて、TOEICでは900点のスコアを獲得し、ビジネス英語や国際的なコミュニケーションスキルが高いことを証明しています。
皆さんの英語学習において、私はあらゆる質問に対して、実践的なアドバイスを提供し、サポートします。文法、語彙、発音の改善から会話スキルの向上に至るまで、私の経験と専門知識を活かして、皆さんの英語学習を全力で支援します。一緒に英語を楽しみながら学びましょう!
I've been writing for so long, I'm feeling weighed down. 長時間書き続けていて、重たく感じています。 「Feeling weighed down」は、「重荷を感じる」「心が重い」などと訳され、心理的なストレスや悩み、問題を抱えている状態を表します。自分の中に大きな負担やプレッシャーがあるとき、または何かによって心が押しつぶされそうな感覚を覚えるときに使われます。例えば、仕事や人間関係の悩み、学業のプレッシャーなどが該当します。 I've been writing for so long that I'm feeling burdened. 長時間書き続けていて、気分が重いです。 I've been carrying a heavy load on my shoulders, writing for hours on end. 長時間にわたって書き続けていて、まるで重荷を背負っているようだ。 Feeling burdenedは一般的に精神的、感情的な重荷を指し、ストレス、悲しみ、または責任から来る圧力を表します。例えば、期限の迫ったプロジェクトや家庭の問題によるストレスを感じるときなどに使います。 一方、Carrying a heavy load on one's shouldersは、より具体的な、しばしば長期的な責任や困難を示します。これは、家族を養うための一人での経済的責任や、長期的な病気の世話など、具体的な重荷を表すために使われます。この表現は、その人が直面している困難が非常に重大であることを強調します。
The beans I spilled are too numerous to count on the floor. 床にこぼれた豆が拾いきれないほど多いです。 「Too numerous to count」は「数えきれないほど多い」という意味で、物事が非常に多く、それを数えるのが困難または不可能なほどであることを表現します。物質的なもの(星の数、砂粒など)だけでなく、抽象的なもの(感謝の気持ち、幸せな瞬間など)に対しても使うことができます。例えば、感謝の気持ちが溢れて言葉にできないとき、「There are too numerous to count reasons I am grateful for you」のように使います。 There are more beans scattered about than one can shake a stick at. 棒で振り回すほど床に豆が散らばってしまって、全部拾いきれないよ。 The beans have scattered beyond measure on the floor, I can't possibly pick them all up. 床に豆が計り知れないほど散らばってしまったので、全て拾うことは不可能です。 More than one can shake a stick atは数がとても多いことを指す、ややくだけた表現です。例えば、I have more chores to do than I can shake a stick at (やるべき家事が山ほどある)のように使います。一方、Beyond measureは計り知れないほど大きいまたは多いことを表し、よりフォーマルまたは詩的な表現です。例えば、His courage is beyond measure (彼の勇気は計り知れない)と使います。
Don't settle for that, make your point. それで納得しないで、あなたの意見を言って。 「Don't settle for that」は、「それに甘んじるな」「それで妥協するな」という意味です。何かを選択する際や、何かを受け入れる際に、より良い選択肢や可能性があるときに使われます。特に、自分自身の価値を低く見積もり、その結果として低い基準や期待を持つことに対して使われることが多いです。たとえば、自分が望むよりも低い給料を提示されたときや、自分が望むよりも劣った条件を提示されたときなどに、自分自身を励ますためや他人を励ますために使うことができます。 Don't just accept it, challenge it if you disagree. ただ受け入れないで、異論があるなら反論してよ。 Don't just take it lying down, voice out your disagreement! ただ受け入れるだけでなく、反論して! Don't just accept itは一般的に、提案や状況に対して疑問を持ち、それに挑戦することを励ます時に使います。一方、Don't take it lying downはもっと強い表現で、不公平な状況や扱いに対して抗議や抵抗を行うように促す時に使います。前者は疑問を持つことを強調し、後者は行動を起こすことを強調します。
It was just a petty argument, wasn't it? 「ただのたわいもない喧嘩だったんじゃない?」 「Petty argument」は「些細な口論」や「くだらない論争」を意味します。ニュアンス的には、重要性の低い、あるいは無意味なトピックについての不必要な論争を指します。使えるシチュエーションとしては、たとえば友人間で好きな映画のジャンルをめぐっての軽い口論、あるいは日常生活の中での些細な意見の相違による争いなどが考えられます。大した問題ではないのに、時間やエネルギーを浪費するような論争を指す言葉です。 It was just a squabble over nothing, wasn't it? 「たわいのない喧嘩だったんじゃない?」 You were probably just bickering over trivialities, right? 「たぶん、ただたわいもないことで言い争っていただけでしょ?」 Squabble over nothingは、本当に何もないこと、つまり、何の価値もない、無意味なことについて言い争っている状況を指します。一方、Bickering over trivialitiesは、些細な、つまりは重要でないが存在はしている事柄について口論している状況を指します。前者は全くの無から生じる争い、後者は小さな問題から生じる争いを表しています。
We keep failing in the same way, so I think we should change our approach. 私たちは同じ方法で失敗し続けているので、アプローチを変えるべきだと思います。 「I think we should change our approach.」は「私たちのやり方を変えるべきだと思います」という意味で、主に問題解決やプロジェクト進行などの状況で使われます。現状のやり方が効果的でない、またはより良い結果を得るための新たな手法を提案する際に使用します。ニュアンスとしては、建設的な提案や改善の意志を示しており、物事を前に進めるための積極的な姿勢を表現します。 Our current approach keeps failing. I believe we need to take a different tack. 現在のやり方は失敗し続けています。私たちはアプローチを変えるべきだと思います。 We keep failing with the same approach, so I think we ought to alter our strategy. 同じアプローチで失敗し続けているので、私たちは戦略を変えるべきだと思います。 「I believe we need to take a different tack」は自分の意見を表す際に使われ、特に航海などの文脈で方向転換を意味します。一方、「We ought to alter our strategy」はより公式で全体的な状況で使われ、戦略全体の変更を提案しています。前者は個々の行動や方向性に焦点を当て、後者は全体の計画やアプローチについて言及します。