プロフィール
Haru
英語アドバイザー
日本
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英語系資格
海外渡航歴
自己紹介
こんにちは、私はHaruと申します。現在、デンマークに住んでおり、異文化の中での英語教育に携わっています。私の国際的な経験は、英語を教える際のアプローチに大きな影響を与えています。
私はノルウェーでの留学経験があり、そこで得た学びは、非母国語話者としての英語習得の重要性を深く理解させてくれました。この経験は、異文化理解と英語指導の両面において私の視野を広げました。
英検では最高位の資格を取得し、これは英語の複雑な文脈における私の理解と適応力を示しています。また、IELTSでは7.5のスコアを獲得しており、これは私の英語の聞き取り、読解、会話、書き言葉の能力が国際的に認められていることを示しています。
皆さんの英語学習に対して、私は熱心にサポートし、貴重なアドバイスを提供します。文法、発音、会話能力の向上から、文化的背景の理解まで、私の経験と専門知識を活用して皆さんをサポートします。一緒に英語の魅力を探求しましょう!
Let's wrap things up and call it a day. 今日はこれで終わりにしましょう。 「Wrap things up」は、「物事を終わらせる」や「まとめる」の意味で、ビジネスの会議やプレゼンテーションが最終段階に入ったときや、何かの作業を終えるときに使われます。また、パーティーやイベントが終わりに近づいたときに、「そろそろ終わりにしましょう」という意味でも使えます。直訳すると「物事を包み込む」となり、すべての要素をまとめて終了させるイメージがあります。 I need to tie up some loose ends before we finish this project. このプロジェクトを終える前に、いくつかの未決事項をまとめておく必要があります。 We need to bring this project to a conclusion by the end of the week. 「今週中にこのプロジェクトをまとまりをつけて終わらせる必要があります。」 Tie up loose endsは、進行中のプロジェクトやタスクでまだ未解決の小さな部分を完了させることを指す表現です。例えば、レポートを書いた後の校正や、パーティーの後片付けなどが該当します。一方、Bring to a conclusionは、大きな問題や議論、プロジェクトなどを全体として終わらせることを意味します。これは大規模なプロジェクトの完了や、長期にわたる議論の終結などに使われます。つまり、前者は細部の完了、後者は全体の完了を指すという違いがあります。
Their harsh words really opened my eyes. 彼らの厳しい言葉は本当に私の目を見開かせました。 「Open one's eyes」は、直訳すると「自分の目を開ける」となりますが、比喻的な表現としてよく使われます。その場合の意味は「気づく」「認識する」「理解する」で、特に新たな視点や真実を理解したり、自分が誤解していたことに気づいたりする状況で使われます。また、「彼に目を開かせる」のように他人に対してそのような気づきを促す場合にも使えます。例えば、「その映画は私に環境問題の深刻さを目を開かせてくれた」などと使用します。 After he hurled those awful words at me, I had to wake up and smell the coffee. 彼が私にあのひどい言葉を浴びせた後、思わず目を覚まさざるを得なかった。 I had to snap out of it after being hit with such harsh words. そんなひどい言葉を浴びせられて、思わず目をむいた。 Wake up and smell the coffeeは、現実を認識し、直面するようにという強い提案を表し、しばしば否定的な状況で使われます。例えば、誰かが問題を無視している場合や、彼らの行動が悪い結果をもたらす可能性があるときに使われます。 一方、Snap out of itは、誰かが自分自身を取り戻すようにという意味で、特にその人が落ち込んでいたり、否定的な思考に囚われている場合に使われます。これはより個人的な状況や感情的な問題に対して使われます。
I feel sorry for you but I can't help seeing the child crying on the platform. あなたに同情しますが、プラットフォームで泣いている子供を見て、私は手助けできないんです。 この表現は、相手の困った状況や苦しい気持ちに対して同情は示しつつ、しかし自分にはその問題を解決する能力や手段がないという事を伝えるために使います。具体的なシチュエーションとしては、例えば親友が職を失ったときや、友人が恋人と別れてしまったとき、さらには相手が自分に解決不可能な問題を抱えているときなどに使うことができます。 I sympathize with your situation seeing the child crying on the platform, but I'm unable to assist. プラットフォームで泣いている子供の様子を見て、あなたの状況に同情しますが、私には何もできません。 It's unfortunate, but my hands are tied. I couldn't stand to see that child crying on the platform. 残念ながら、私には何もできません。プラットホームで泣いている子供の姿を見ているのは辛かったです。 I sympathize with your situation, but I'm unable to assist.は、話し手が相手の困難な状況に同情しているが、具体的な手段や能力、リソースがなく助けることができないときに使います。一方、It's unfortunate, but my hands are tied.は、話し手が制限や制約により何もできない状況を示しています。このフレーズは、規則やポリシー、他の人や状況によって行動が制約されているときに使われます。
Because of my digestive disorder, I'm unable to fully absorb the nutrients from what I eat. 私の消化器疾患のため、食べたものの栄養を全て吸収できません。 「栄養吸収」は主に食事やサプリメントから体が必要な栄養素を摂取し、消化システムから血液に移行させるプロセスを指します。この用語は、医療、健康、食事、運動などのコンテキストで使用されます。特に、食事の質や消化器系の健康状態に関連する話題で使われます。栄養吸収の良し悪しは、健康状態やパフォーマンスに大きな影響を与えます。例えば、ダイエットやスポーツパフォーマンス向上のための食事指導、栄養不足や消化器官の病気の診断・治療などの際に重要な要素となります。 Because of my digestive disorder, I can't fully absorb the nutrients from the food I eat. 「消化器疾患のせいで、食べたものの栄養を全て吸収できません。」 Due to my digestive disorder, I cannot fully achieve the uptake of nutrients from the food I eat. 私の消化器系の疾患のため、私が食べたものから栄養を完全に吸収することができません。 Absorption of nutrientsは主に医学や生物学の文脈で使用され、体が栄養素を消化器系から血液へと取り込む過程を指します。一方、Uptake of nutrientsはより一般的な用語で、植物や細胞が栄養素を取り込む過程を指すことが多いです。日常会話では、特定の病態や医学的な状況を説明するときにabsorptionを使用し、一般的な栄養摂取について話すときにはuptakeを使用することが多いです。
I can't understand what modern people, especially the younger ones, are thinking. 「特に若者を含む現代人の考えがよく分からない。」 「Modern people」は「現代の人々」や「現代人」を指す英語表現です。主に、現代の技術や文化、価値観などを理解し、それに基づいて生活している人々を指します。この表現は、特定の年代や国籍、性別を問わず、広範に使うことが可能です。例えば、テクノロジーの進歩に順応している人々や、現代の社会問題に対して理解を有して行動する人々のことを指す際に使われることが多いでしょう。 I can't really understand what young people are thinking in contemporary society. 現代社会の若者が何を考えているのか、私には本当に理解できません。 I just can't understand what present-day individuals, especially the youth, are thinking. 現代の人々、特に若者たちが何を考えているのか、私にはまったく理解できません。 Contemporary societyは、現代の社会全体を指すときに使用されます。政策、文化、社会的なトレンドなど、より広範な視点からの議論に使われます。一方、Present-day individualsは、現代の個々の人々を指すときに使用されます。このフレーズは、個々の行動、考え方、行動パターンなど、より個人的な視点からの議論に使われます。つまり、contemporary societyは社会全体を、present-day individualsはその社会の一員を指す表現です。