プロフィール
Taka
英語アドバイザー
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英語系資格
海外渡航歴
自己紹介
皆さん、こんにちは!私の名前はTakaで、現在はオーストラリアに住んでいます。英語アドバイザーとしての私の役割は、皆さんが英語をより深く理解し、楽しむことを手助けすることです。
私自身、英語を学ぶ過程での海外経験が大きな影響を与えました。カナダでの留学中、異文化の中でコミュニケーションを取ることで、英語の理解を深めると同時に、世界に対する見方が大きく広がりました。
英語の資格に関しては、英検1級を取得しており、これは私の言語スキルの高さを証明するものです。さらに、TOEICでは935点、IELTSでは7.0というスコアを達成しています。これらの成績は、特にビジネス英語やアカデミックな英語の領域において、私の能力を示しています。
英語学習におけるあらゆる疑問や課題に対して、私は皆さんの理解を深めるためにサポートします。文化的背景や日常会話、ビジネス英語に至るまで、幅広い知識と経験を活かしてアドバイスを提供します。一緒に英語を楽しみながら、皆さんの目標達成を目指しましょう!
You're really used to it, aren't you? 本当に慣れてるね。 「Used to it」は、「それに慣れている」という意味です。新しい環境や状況、物、習慣などに対して十分に慣れ、それが自然に感じられるようになった状態を指します。例えば、最初は慣れなかった新しい職場の雰囲気やルールでも、時間が経つと「I'm used to it(慣れました)」と言えるようになります。また、否定形「not used to」を使えば、「まだ慣れていない」状態を表現できます。 Cooking seems to be second nature to you. 料理はあなたにとっては手慣れたものだね。 You're an old hand at cooking, aren't you? 料理は手慣れてるね、そうだよね? "Second nature"は、何かが非常に自然で、習慣的になったことを表す表現で、主にスキルや能力に関して使用されます。例えば、自転車に乗ることが「second nature」なら、それはあなたが意識せずにそれを行うことができるほどそれが習慣になっていることを意味します。 一方、「old hand at it」は、誰かが何かを長い間行ってきて、その分野において大変熟達していることを指します。これは経験と専門知識に大きな焦点を当てています。例えば、ある人が長年の経験を持つ教師であれば、「She is an old hand at teaching」と言えます。
Hearing about your serious issue makes mine seem insignificant. あなたの深刻な問題を聞くと、自分の悩みは些細なことに思えてきます。 「Seems insignificant」は「些細に見える」または「重要ではないと思われる」という意味を持つ表現です。「Insignificant」は「重要でない」や「大したことない」などと言った意味を持ちます。コンテキストによりますが、「些細なこと」や「取るに足らない」などの意味合いにも使われます。例えば、大きなプロジェクトを進める中で、一つの小さなタスクが「Seems insignificant」、つまり取るに足らないように思える、とか、人生の大きな問題に対して小さな幸せが取るに足らない、などと使うことができます。 Hearing about your problem makes my issues seem trivial. あなたの問題を聞いて、自分の悩みってちっぽけに思えてきたよ。 Hearing your serious problem, mine seems inconsequential. あなたの深刻な悩みを聞いたら、私の悩みなんてちっぽけに思えてきたよ。 「Seems trivial」は「些細なように見える」という意味で、何かがささいで重要でないと見なされることを指します。「これは私にはどうでもいいことに思えます」といった場合に使います。 一方、「seems inconsequential」は「結果に影響を与えないように見える」を意味し、何かが重要でないか、結果に影響を与えないと認識する場合に使います。「彼の決定は、プロジェクトの結果に影響を与えないと思います」というような文脈で使うことができます。
野球の試合で、後攻のチームがホームランを打って勝利するとき、それを英語ではwalk-off home runと言います。 「Walk-off home run」は野球の試合において、試合が延長や同点の状態で、ホームチームの攻撃によってホームランが打たれ、それによって試合が終了する状況を指します。その場合、ホームチームはその場で試合に勝利でき、そのための「ウォークオフ(歩き去る)」という表現が使われます。劇的な勝利を象徴する言葉で、試合のクライマックスや勝敗が一発で決まる瞬間などに使えます。 サヨナラホームランは英語でgame-winning home runと言います。 In baseball, when the home team hits a home run to win the game, it's called a walk-off homer. 野球の試合で、後攻のチームがホームランを打って勝利する時、それを英語ではwalk-off homerと言います。 Game-winning home run と "Walk-off homer" はどちらも野球の試合で最後にホームランを打って勝つ状況を表しますが、微妙な違いがあります。"Game-winning home run"はそのホームランが試合の勝利に直接つながったことを強調します。逆に、"Walk-off homer"は試合が終了し、即座に選手たちがフィールドを離れる(つまり「歩き去る」)瞬間を表します。こちらは特に延長戦で用いられます。
I can't afford a real gold necklace, so I'll settle for gold-plated. 本物の金のネックレスを買う余裕はないから、金メッキのもので結構です。 Gold-platedは文字通り「金メッキされた」を意味します。本物の金が使用されているわけではなく、表面に薄く金が塗られているだけの状態を指します。つまり、見た目は豪華に見えますが、中身はそれほど価値がない、あるいは品質が一定でないというニュアンスを持つこともあります。金属製品、宝飾品、電子製品などの表面コーティングによく使われます。また、比喩的な意味として、一見素晴らしそうに見えて実は価値が低い、表面だけのものを指すときにも使われます。 I can't afford a real gold necklace, so I'm fine with a gilded one. 本物の金のネックレスは手が出ないので、金メッキのもので結構です。 I can't afford a real gold necklace, so gold-leaf is fine. 本物の金のネックレスを買う余裕はないので、金箔で結構です。 Gildedは物が金で覆われている、または金色に見える状態を示しますが、日常生活ではもう一つの比喩的な意味でも用いられます。豪華さや外観を装う事を意味するときに使われます。「Gold leaf」は、字面通り薄く延ばされた金の事を指します。芸術、装飾、または建築で具体的な金箔加工を指すときに使います。したがって、ネイティブスピーカーは「gilded」を比喩的な状況や高貴さを表現するとき、「gold leaf」を実際の金箔を指すときに使い分けます。
Please, let's have a no holds barred practice match. お願いですから手加減せずに練習試合をして下さい。 「No holds barred」は日本語で「何でもあり」「制限なし」等と訳すことが可能です。レスリングでの掴み技の禁止が解かれ、なんでも許される戦いを指すフレーズで、日常生活の中では「手段を選ばない」「全てが許される」などという状況を示すために用います。例えば、競争や議論などで力の限りを尽くす、何をしてでも目標を達成しようとする時などに使えます。しかし、その使い方には注意が必要で、規則無視や違法行為を肯定しているわけではないということを明確に表現する必要があります。 Let's have a practice match, and I'd like you to be pulling no punches, please! 「練習試合をしましょう、そして手加減なしでお願いします!」 I'm going to play a practice match with my senior in the club, so please, let's go all out. No holding back! 部活の先輩と練習試合をすることになったので、全力を出してください。手加減はしないで! Pulling no punchesは、本音を言うか、強くて容赦ない行動をすることを示し、しばしば批評や議諔の文脈で使われます。「力を抜かずにパンチを打つ」というボクシングからの隠喩です。対照的に、"going all out"は、特定の目的に対して全力を尽くすことを示します。これは一般的にポジティブな意味合いで使われ、何かを行うために全力を尽くすことを助けるために、他の全ての可能性も使っているという意味があります。