ボスニア・ヘルツェゴビナってどんな国?旅行前に知っておきたい歴史・治安・観光地情報まとめ

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ヨーロッパの中でも、まだ旅行先としてはあまり馴染みのない「ボスニア・ヘルツェゴビナ(Bosnia and Herzegovina)」。

バルカン半島の内陸に位置し、オスマン帝国やオーストリア=ハンガリー帝国の影響を受けた独特の文化や、美しい自然、歴史ある街並みが魅力の国です。

一方で、1990年代の内戦のイメージから「治安は大丈夫なの?」と不安に思う人も多いかもしれません。

この記事では、旅行を計画する前に知っておきたいボスニア・ヘルツェゴビナの基本情報をわかりやすく解説していきます。

ボスニア・ヘルツェゴビナの国の概要

ヨーロッパの中央部に位置しながらも、日本ではあまり知られていないボスニア・ヘルツェゴビナ。

地図で見ても「どんな国なんだろう?」と思う方も多いのではないでしょうか。

このセクションでは、まずは旅行前に知っておきたいボスニア・ヘルツェゴビナの基本的な情報を見ていきましょう。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、バルカン半島の内陸に位置するヨーロッパの国で、クロアチア、セルビア、モンテネグロと国境を接しています。

国土は日本の北海道よりやや小さいほどで、首都はサラエボです。

この国の大きな特徴は、多民族・多宗教国家である点です。

人口は約300万人で、ボシュニャク人(イスラム教徒)、セルビア人(セルビア正教徒)、クロアチア人(カトリック教徒)が主要な民族グループを構成しています。

それぞれが長い歴史の中で影響を与え合い、独特の文化を形成してきました。

地理的には変化に富んでおり、山々や渓谷、美しい川の流れが織りなす自然景観が魅力です。

特にネレトヴァ川沿いの風景は息をのむ美しさで、古い石橋や中世の街並みとともに写真映えするスポットとして人気があります。

気候については、冬は寒く、山岳地帯では雪が多く降り積もりますが、夏は比較的温暖で観光に適した時期となります。

この多様な気候は観光の楽しみをさらに広げるポイントとなっています。

政治的には、1990年代の内戦を経て複雑な国家体制が築かれています。

現在は「ボスニア・ヘルツェゴビナ連邦」と「スルプスカ共和国」という二つの構成体に分かれ、それぞれ自治権を持ちながら国家を成り立たせています。

公用語はボスニア語、クロアチア語、セルビア語と分かれていますが、観光地や都市部では英語が通じることも多いため、旅行で困る場面は少なめです。

通貨は「兌換マルク(BAM)」で、ユーロからの両替もしやすく、物価もドイツやフランスなどの西ヨーロッパの国々に比べてかなり安価です。

日本からボスニア・ヘルツェゴビナへのアクセスは、首都サラエボにはサラエボ国際空港があり、ヨーロッパ各地からのフライトが運航されています。

クロアチアやセルビアから、Flixbusなどが運行しているバスで陸路アクセスすることも可能です。

ボスニア・ヘルツェゴビナが歩んできた歴史

ヨーロッパの十字路と呼ばれる、ボスニア・ヘルツェゴビナは、多くの民族や宗教が交わる場所として知られています。

このセクションでは、戦争や支配の影響を受けつつも、独自の文化を育んできたボスニア・ヘルツェゴビナの歴史をご紹介します。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、ヨーロッパと中東をつなぐ位置にあるため、古くからさまざまな民族や宗教が交わり、独特の文化を形成してきました。

中世には独立したボスニア王国が存在していましたが、15世紀後半にはオスマン帝国の支配下に入りました。

イスラム文化の影響を強く受けたのはこの時期で、現在でもモスクやバザールの風景にその名残を見ることができます。

19世紀後半になると、今度はオーストリア=ハンガリー帝国の支配下に置かれ、西欧的な建築や近代都市計画が導入されました。

こうして、東洋と西洋の要素が共存する独特の街並みが形づくられたのです。

20世紀に入ると、第一次世界大戦の引き金となった「サラエボ事件」が発生しました。

1914年にオーストリア皇太子がサラエボで暗殺されたこの事件は、世界史の授業で聞き覚えのある方もいるのではないでしょうか。

その後、ユーゴスラビア王国の一部として統合され、第二次世界大戦後は社会主義国家ユーゴスラビアの構成国となりました。

しかし1990年代に入ると、ユーゴスラビア解体の波が押し寄せます。

民族や宗教の対立が表面化し、1992年から1995年にかけて激しい内戦が勃発しました。

サラエボ包囲やスレブレニツァ虐殺など、悲惨な出来事が世界の注目を集めました。

サラエボの街には今も戦争の跡が残っています。

その象徴のひとつが「Suada & Olga Bridge(スアダとオルガの橋)」です。

ここでは、内戦初期に平和を願って抗議活動に参加していた二人の女性が命を落としました。

また、「サラエボのロミオとジュリエット」としても知られる異なる民族間の恋人たちが銃撃されて命を落としてしまった悲劇の橋としても知られています。

観光の合間に訪れることで、ガイドブックだけでは伝わらない歴史や人々の平和への思いを肌で感じることができます。

こうした歴史を知り、実際に街の中で触れることで、ボスニア・ヘルツェゴビナの街並みや文化をより深く理解することができます。

旅行で訪れるなら、観光だけではなく、こうした歴史の跡を訪れ、国が歩んできた道を感じる体験もぜひ加えると充実した旅の時間を過ごすことができます。

気になるボスニア・ヘルツェゴビナの治安

旅行を計画するとき、やはり気になるのが治安。

特に内戦のイメージが残っている国だけに、不安を感じる方もいるのではないでしょうか。

ここでは、観光客が安心して滞在するために知っておきたいボスニア・ヘルツェゴビナの最新の治安事情を紹介します。

現在のボスニア・ヘルツェゴビナは観光客にとって比較的安全に旅行できる国へと変わっています。

首都サラエボやモスタルといった観光地は、世界中からの旅行者でにぎわい、平和な日常が広がっています。

とはいえ、ヨーロッパの他の国と同様に、スリや置き引きなどの軽犯罪には注意が必要です。

特に観光客が多い旧市街やバスターミナル、マーケットなどでは、貴重品の管理をしっかりすることが大切です。

また、夜間に人通りの少ないエリアを一人で歩くのは避けた方が賢明です。

もうひとつ知っておきたいのは、内戦時に残された地雷の存在です。

国土の一部には、過去の紛争で埋められた地雷がいまだ残っており、とくにボスニア・ヘルツェゴビナ連邦とスルプスカ共和国の境界周辺や、一部クロアチアとの国境付近に集中しています。

除去作業は進んでいるものの、完全には取り除かれておらず、事故も報告されています。

観光の際に都市部や定番の観光地を訪れる分には心配はありませんが、山間部や人里離れたエリアをハイキングや散策する場合は注意が必要です。

未舗装の道や草むら、廃墟や廃村などに立ち入るのは避け、必ず整備されたルートや現地ガイドが案内する道を利用しましょう。

危険地域には、ドクロのマークや「MINE」といった標識が立てられていることが多いので、見かけたら絶対に近づかないようにしてください。

ボスニア・ヘルツェゴビナの魅力

ボスニア・ヘルツェゴビナには、ガイドブックだけでは伝わらない、自然や食文化、人々の暮らしなど多彩な魅力があります。

ここでは、旅行者の心をつかむボスニア・ヘルツェゴビナならではの魅力を見ていきましょう。

ボスニア・ヘルツェゴビナを訪れると、まず目を引くのが街並みや自然の美しさです。

首都サラエボでは、オスマン帝国時代のモスクや市場が残る旧市街と、オーストリア=ハンガリー帝国の影響を受けたヨーロッパ風建築が混ざり合う独特の景観を楽しめます。

一歩路地に入れば、カフェや小さな工芸品店が並び、地元の生活の雰囲気も感じられるのが魅力です。

また、ボスニア・ヘルツェゴビナは自然も豊かです。

ネレトヴァ川に架かる美しい石橋モスタル橋や、山々に囲まれた渓谷、透明度の高い湖など、都市部だけでなく郊外の絶景スポットも多くあります。

ハイキングやラフティングなどアクティブな体験ができるのも、この国ならではの楽しみです。

さらに食文化も外せない魅力のひとつです。

ボスニア風のグリル料理や地元のパン、手作りチーズやスイーツなど、東西の影響が混ざったユニークな味わいが楽しめます。

サラエボ市内のレストランやカフェでは、観光客向けの英語メニューが用意されているので注文しやすい上、地元の人々に愛される家庭料理も体験できるため、ぜひ積極的に訪れることをおすすめします。

ボスニア・ヘルツェゴビナで訪れたい観光スポット

せっかくボスニア・ヘルツェゴビナを訪れるなら「ここだけは外せない!」という場所を知っておきたいですよね。

ここでは、定番のスポットから穴場の絶景地まで、ボスニア・ヘルツェゴビナで足を運びたい観光地をピックアップします。

サラエボ

ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは、オスマン帝国時代やオーストリア=ハンガリー帝国時代の遺産が色濃く残る場所として有名です。

特に、バシュチャルシヤ(Baščaršija)と呼ばれる旧市街は、美しいモスクやオスマン風の市場が立ち並び、お土産選びなどもできるのでショッピングも兼ねておすすめしたいスポットです。

世界遺産モスタル

ボスニア・ヘルツェゴビナの観光地の中でも特に人気が高いのが「モスタル(Mostar)」です。

この都市にある象徴的な「モスタル橋(Old Bridge Mostar)」は16世紀にオスマン帝国によって建設され、1993年の紛争で破壊されましたが、現在はその美しい姿を取り戻し、ユネスコの世界遺産にも登録されています。

「ネレトヴァ川(Neretva River)」にかかるこの橋からは、町全体を見渡す絶景を楽しむことができ、写真撮影にも最適です。

周辺には、石畳の街並みや地元の工芸品を扱う店もあり、観光散策が充実するスポットとなっています。

ヴィシェグラード

東部の街「ヴィシェグラード(Višegrad)」は、「ドリナの橋」として知られる「メフメット・パシャ・ソコロヴィッチ橋(Mehmed Paša Sokolović Bridge)」で有名です。

この橋は、オスマン帝国時代の1566年から1571年にかけて建設されたもので、その美しさと歴史的な重要性からユネスコの世界遺産に指定されています。

また、小説家イヴォ・アンドリッチによる作品「ドリナの橋(The Bridge on the Drina)」の舞台にもなっており、ボスニア・ヘルツェゴビナの歴史や文化、そして文学的背景を知る上でも重要な場所です。

ヴィシェグラードは、サラエボやモスタルと比べて落ち着いた雰囲気のため、静かに歴史と景観を堪能したい人におすすめの町です。

ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行の注意点

せっかくの旅を快適に楽しむためには、事前に知っておくべき注意点もあります。

言語や交通、マナーなど、ちょっとした知識が安心感につながります。

このセクションでは、ボスニア・ヘルツェゴビナ旅行前に押さえておきたいポイントを解説します。

まず、貴重品や現金は目立たないようにし、多額の現金を持ち歩くことは控えるようにしましょう。

また、観光地ではバッグを身体の前に持つなど、スリの防止対策を徹底することをおすすめします。

言語についても注意が必要です。

ボスニア・ヘルツェゴビナでは、ボスニア語、セルビア語、クロアチア語が公用語として用いられています。

主要観光地では英語が通じることもありますが、地方では理解されない場合もあります。

旅行前には、行く予定の地方で使われている言語の簡単な挨拶などを覚えておくと便利です。

さらに、医療体制も事前に把握しておくことをおすすめします。

緊急時には「124」で救急車を、「122」で警察を呼ぶことができますが、流暢な英語を話すスタッフがいない場合もあるため、現地の滞在先やツアーガイドとの連絡方法を確認しておきましょう。

また、海外旅行保険への加入は必須です。

最後に、地元の文化や宗教習慣への配慮も重要です。

イスラム教が広く信仰されている地域では、モスク訪問時に礼儀正しい振る舞いや適切な服装を心がけましょう。

他民族国家であるため、多様な文化が混在しており、話題選びや振る舞いに注意を払うことを忘れないようにしましょう。

まとめ

ボスニア・ヘルツェゴビナは、まだ観光地としては大きく知られていないからこそ、訪れる方にとって新鮮な驚きと発見を与えてくれる国です。

歴史の重みを感じられる街並み、自然が織りなす絶景、そして温かく迎えてくれる人々、そのすべてが旅を特別なものにしてくれるでしょう。

今回解説した最新の治安や移動の情報を参考に、危険なエリアやルートを避ければ、安心して旅行を満喫できます。

ヨーロッパの隠れた旅先として、ぜひ一度訪れてみてください。

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