
地中海に浮かぶ小さな島国、マルタ。
この地を訪れるなら、その豊かな「歴史」を抜きには語れません。
新石器時代の遺跡から、フェニキア人、ローマ人、アラブ人、そして聖ヨハネ騎士団など、様々な文明がこの島を舞台にしてきました。
この記事では、マルタの歴史や注目の世界遺産までわかりやすくご紹介しますので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。
マルタの基本情報
マルタって名前は聞いたことあるけれど、どんな国なのかはよく分からないという方も少なくないのではないでしょうか?
ここでは、旅行や留学で訪れる前に知っておきたい、マルタの基本的な情報をご紹介します。
マルタの所在地
マルタ共和国は、イタリアのシチリア島の南約93kmに位置する、地中海中央部の群島国家です。
ヨーロッパ、アフリカ、中東を結ぶ戦略的な位置にあるため、古くから多くの文明に影響を受けてきました。
主要な島は、最大のマルタ島、ゴゾ島、コミノ島の3つで、それぞれ異なる魅力を持っています。
マルタの気候と地理
マルタの気候は典型的な地中海性で、年間を通して温暖です。
夏は暑く乾燥し、冬は比較的穏やかで雨が少ないのが特徴です。
年間300日以上晴天に恵まれるため、「太陽の島」とも呼ばれています。
起伏の少ない石灰岩質の地形が広がり、美しい入り江や断崖が海岸線を彩ります。
言語と通貨
マルタの公用語はマルタ語と英語です。
かつてはイギリス連邦に加盟していたこともあり、英語教育が盛んで、多くの人が英語を流暢に話すことができます。
そのため、英語圏からの留学生にも人気の留学先となっています。
通貨はユーロが使用されています。
マルタの政治と経済
マルタは共和制国家で、EU(欧州連合)およびイギリス連邦の加盟国です。
経済は観光業が最大の柱であり、その美しい自然と歴史的遺産を目当てに、毎年多くの観光客が訪れています。
近年はオンラインゲームや金融サービス業も成長を見せています。
マルタの人口と文化
人口は約50万人強と小規模ながら、多様な歴史的背景から豊かな文化が育まれてきました。
国民の多くはカトリック教徒で、信仰心が篤いことでも知られています。
マルタの文化は、アラブ、イタリア、イギリスなどの影響を色濃く受けており、国際色豊かであることが大きな特徴です。
マルタの歴史:紀元前
旅行や留学を前に、マルタの歴史の中でも特に神秘的な「紀元前」の時代に焦点を当ててみましょう。
この国には、世界最古級の壮大な遺跡が残されています。
新石器時代(紀元前5200年頃~紀元前2500年頃)
マルタの歴史は、今から約7000年以上前の新石器時代に遡ります。
この時代に築かれたのが、世界遺産にも登録されている巨石神殿群です。
特に有名なのは、ゴゾ島のガンティヤ神殿や、マルタ島のハジャー・イム神殿、ムナイドラ神殿などです。
これらの神殿は、エジプトのピラミッドよりも古い時代に、高度な技術と信仰心を持って建造されたと考えられています。
神殿の内部からは、豊穣の女神像や動物の彫刻などが見つかっており、当時の人々が自然や生命を崇拝していたことがうかがえます。
また、地下にはハイポジウムと呼ばれる巨大な地下神殿・墓所もあり、当時の人々の死生観や儀式の一端を垣間見ることができます。
これらの巨石文化は、なぜ突然姿を消したのか、いまだ多くの謎に包まれています。
青銅器時代(紀元前2500年頃~紀元前700年頃)
巨石文明が衰退した後、マルタには新たな人々が到来し、青銅器時代に入ります。
この時代には、より簡素な構造の居住地や墓が作られ、金属器の使用が始まったと考えられています。
防御のための要塞のような構造物も発見されており、社会の変化や争いの存在を示唆しています。
フェニキア人・カルタゴ人による支配 (紀元前8世紀頃~紀元前218年)
紀元前8世紀頃になると、海洋貿易で栄えたフェニキア人がマルタに到来し、貿易の中継地として利用するようになります。
その後、フェニキア人の植民都市であるカルタゴの支配下に入り、地中海における重要な拠点としての役割を担うことになります。
この時代には、港湾施設や都市の基盤が整備されていきました。
マルタの歴史:キリスト教の伝来
紀元前の巨石文化とフェニキア人の時代を経て、マルタの歴史は新たな転換期を迎えます。
それが、キリスト教の伝来とローマ帝国の支配です。
ローマ帝国の支配 (紀元前218年~紀元後870年頃)
紀元前218年、第二次ポエニ戦争中にローマ軍がマルタを占領し、その後約1000年近くにわたるローマ帝国の支配が始まります。
マルタは当初、シチリア属州の一部とされましたが、その戦略的な位置から独立した地位を与えられることもありました。
ローマ時代には、現在の古都イムディーナ の基礎が築かれ、その周辺には神殿や劇場、邸宅などが建設され、島は繁栄を謳歌しました。
農業や商業も発展し、地中海の交易路における重要な拠点としての役割を強化していきます。
聖パウロの漂着とキリスト教の伝来 (紀元後60年頃)
マルタの歴史において、最も劇的な出来事の一つが、聖パウロの漂着です。
新約聖書「使徒言行録」によると、紀元後60年頃、ローマへ護送中の聖パウロが乗っていた船が嵐に遭い、マルタ島に漂着したとされています。
彼は島で3ヶ月間滞在し、奇跡を起こしたり、病人を癒したりしたと伝えられています。
この出来事を機に、マルタ島の人々にキリスト教が伝えられ、島全体に急速に広まっていったと考えられています。
現在もマルタでは、聖パウロは守護聖人として深く崇敬されており、彼の漂着地点とされるセント・ポールズ・ベイには、記念碑や教会が建てられています。
また、イムディーナには聖パウロが幽閉されたとされる洞窟があり、毎年多くの巡礼者が訪れます。
マルタの歴史:騎士団時代
ローマ帝国の支配とキリスト教の伝来を経て、マルタの歴史に最も大きな足跡を残したのが、聖ヨハネ騎士団の時代です。
彼らはマルタを難攻不落の要塞島へと変貌させました。
聖ヨハネ騎士団の到来 (1530年)
1522年、オスマン帝国によってロードス島を追われた聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団) は、神聖ローマ皇帝カール5世からマルタ島を永久貸与され、1530年にこの地に移り住みました。
騎士団は、地中海のキリスト教世界を守る最後の砦として、マルタを拠点にオスマン帝国との戦いを続けることになります。
彼らは島に堅固な要塞を築き始め、マルタは軍事的な重要性を一層高めていきました。
マルタ大包囲戦 (1565年)
騎士団の歴史の中で最も有名な出来事が、1565年のマルタ大包囲戦です。
オスマン帝国の大軍がマルタに押し寄せ、数ヶ月にわたる激しい攻防が繰り広げられました。
数で圧倒的に不利な状況にもかかわらず、騎士団はマルタの人々と共に粘り強く抵抗し、最終的にオスマン軍を撃退することに成功しました。
この勝利は、ヨーロッパ全土に大きな衝撃と歓喜をもたらし、騎士団の名声を不動のものとしました。
ヴァレッタの建設と繁栄
大包囲戦の勝利後、騎士団は新たな首都として、難攻不落の要塞都市ヴァレッタの建設を進めました。
城壁に囲まれたこの都市は、計画的に設計され、美しいバロック様式の建築物が立ち並びました。
彼らは病院を建設し、病人の看護にも力を入れ、「ホスピタラー」の名の通り、慈善活動も行なっていました。
ナポレオンによる占領と騎士団の終焉 (1798年)
しかし、騎士団の栄光は永遠には続きませんでした。
1798年、エジプト遠征に向かう途中のナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がマルタに上陸。
騎士団は抵抗することなく降伏し、268年にわたるマルタにおける騎士団の統治は幕を閉じます。
マルタの歴史:フランス・イギリス支配時代
ナポレオン率いるフランスの短命な支配の後、マルタの歴史はイギリスによる長期的な統治時代へと突入します。
この時代は、マルタの社会、文化、そして国際的地位に大きな影響を与えました。
フランス支配の終焉とイギリスの到来 (1800年)
1798年にフランス軍がマルタを占領し、その統治に反発したマルタ住民は、イギリス海軍の支援を求めました。
2年間にわたるフランス軍の包囲戦と海上封鎖の後、1800年9月にフランス軍はついに降伏。
マルタはイギリスの保護領となりました。
当初、イギリスはマルタの領有を巡ってヨーロッパ列強との間で外交的な駆け引きを行いましたが、最終的にマルタの戦略的価値を重視し、自国の支配下に置くことを決定します。
大英帝国の要衝としての繁栄 (19世紀~20世紀前半)
イギリスの統治下に入ると、マルタはその地理的優位性から地中海における大英帝国の重要な海軍基地として発展しました。
スエズ運河開通後、マルタはインドへの航路の中継地点としてさらにその重要性を増し、英国艦隊の修理や補給のための施設が充実していきました。
この時代、マルタの経済はイギリス軍の駐留と関連産業によって活況を呈し、インフラ整備も進みました。
第二次世界大戦での試練 (1940年~1942年)
マルタの歴史において、イギリス支配下の最も過酷な時期の一つが第二次世界大戦です。
地中海の戦略的要衝であるマルタは、枢軸国(特にイタリアとドイツ)による激しい空爆の標的となりました。
マルタは補給路を遮断され、飢餓と爆撃に苦しめられながらも、連合国側の重要な拠点として最後まで持ちこたえました。
その並外れた勇敢さと忍耐力を称え、イギリス国王ジョージ6世は1942年、マルタ島全体に最高の栄誉であるジョージ・クロス勲章を授与しています。
この勲章は現在もマルタの国旗に描かれており、国民の誇りとなっています。
独立への道のり
第二次世界大戦後、大英帝国が衰退する中で、マルタでも独立への機運が高まります。
長い交渉の末、マルタは1964年9月21日にイギリスから独立を果たし、マルタ国(State of Malta)となりました。
その後、1974年には共和制に移行し、現在のマルタ共和国が成立したのです。
マルタの歴史が感じられる世界遺産
マルタの豊かな歴史は、島中に点在する数々の世界遺産に凝縮されています。
ここでは、マルタで歴史を感じられる、代表的な世界遺産を3つご紹介します。
①ヴァレッタ市街 (Valletta)
ヴァレッタは、16世紀に聖ヨハネ騎士団によって築かれた要塞都市で、旧市街全体がユネスコ世界遺産に登録されています。
マルタ大包囲戦の勝利後、より強固な防御のために計画的に建設されたこの都市は、「紳士によって紳士のために作られた都市」と称されます。
街を歩けば、騎士団の栄華を伝えるバロック様式の壮麗な建物群、特に騎士団長の宮殿や聖ヨハネ准司教座聖堂の豪華な内部装飾に目を奪われます。
②マルタの巨石神殿群
マルタの歴史を語る上で欠かせないのが、世界最古級の独立した石造建築物とされる巨石神殿群です。
これらは紀元前3600年から紀元前2500年頃の新石器時代に築かれ、エジプトのピラミッドよりも古いものです。
主要な神殿としては、ゴゾ島のガンティヤ神殿マルタ島のハジャー・イム神殿やムナイドラ神殿 などがあります。
これらの神殿は、高度な建築技術と宗教的な信仰心によって造られたと考えられており、豊穣や生命を司る女神を崇拝していたと推測されています。
神殿内部から発見された道具や装飾品も、当時の人々の暮らしや精神世界を垣間見せてくれます。
なぜこれほどの文明が突然姿を消したのか、今なお多くの謎に包まれていますが、これらの遺跡はマルタの太古の歴史を静かに物語っています。
③ハル・サフリエニの地下墳墓
マルタ島のパオラに位置するハル・サフリエニの地下墳墓は、約5000年前に建造されたとされる巨大な地下複合施設で、地下約10メートルにわたって広がる3層構造の墓所兼神殿です。
この地下墳墓は、新石器時代のマルタの文化と信仰を理解する上で極めて重要な遺跡であり、ユネスコ世界遺産にも登録されています。
石灰岩をくり抜いて作られた内部は、まるで地上に建つ神殿のような精巧な造りをしています。
柱や天井の構造は、巨石神殿の建築様式を模しており、当時の人々の死生観や来世に対する信仰が色濃く反映されています。
壁には赤い渦巻き模様の装飾が施されている箇所もあり、当時の芸術性がうかがえます。
まとめ
今回はマルタの歴史と世界遺産について詳しくご紹介しましたが、いかがでしたか?
マルタは小さな国ということもあり、留学や旅行先としてはメジャースポットとは言えないかもしれませんが、複数の地域の文化が入り混じる、唯一無二の魅力を持つ国です。
英語圏への渡航をお考えなら、ぜひ一度検討されてみてはいかがでしょうか?
◇経歴
国際系学部出身
◇資格
英検1級、TOEIC900点以上
◇留学経験
アメリカ・ワシントン大学に半年間留学経験あり
◇海外渡航経験
旅行と留学のみ。アメリカ、オーストラリア、シンガポール、カナダに渡航経験あり
◇自己紹介
「暗記」よりも「理解」を意識した記事作成を心がけております。海外経験がなくても、オンライン英会話を活用すれば英語は話せるようになります。私自身もそうでした。一緒に楽しみながら英語を学んでいきましょう!