【完全解説】Emilio Aguinaldo(エミリオ・アギナルド)はどんな人物?功績から彼の名を冠した大学までご紹介

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フィリピン近代史に大きな足跡を残した人物、エミリオ・アギナルド。彼はフィリピン独立運動の中心的指導者であり、初代大統領として知られています。

今回は、そんなエミリオ・アギナルドの生涯や功績、そして彼の名を冠した大学について詳しくご紹介します。

スペインからの独立、アメリカとの戦い、そして現代のフィリピン高等教育へと続く物語をお届けします。

エミリオ・アギナルドとは

エミリオ・アギナルド・イ・ファミイ(Emilio Aguinaldo y Famy)は、フィリピンの革命家、またフィリピン第一共和国の初代大統領として大きな功績を残しました。アジアにおける近代的な共和国の初代大統領としても歴史的に重要な人物です。

アギナルドは当時スペインの植民地だったフィリピンで、スペインからの独立を目指す革命運動の指導者として頭角を現します。彼は地元のカビテ州で町長を務めるなど、若くして政治的役割を担っていました。

彼の功績を称えて、マニラのエドゥサ通りにあるアギナルド空軍基地などに名前が残されています。また、1987年から発行された5ペソ紙幣にも彼の肖像が使用されていました。長い人生を送り、94歳で亡くなりました。

エミリオ・アギナルドの人生:青年期

エミリオ・アギナルドは、8人兄弟の7番目としてカビテ州に生まれました。彼の青年期は、スペインによる植民地支配の厳しい時代と重なります。若くしてカビテビエホの町長に選出され、1895年にはわずか26歳で町長に就任しました。

教育においては、サント・トマス大学などで学んだとされています。当時のフィリピン人の多くがそうであったように、アギナルドも重税と重労働に苦しめられるフィリピン人の現状に心を痛めていました。

1896年にはフィリピンの秘密結社「カティプナン」に加入し、同年8月に始まった決起に参加します。彼の革命家としての道はここから本格的に始まりました。

エミリオ・アギナルドの人生:フィリピン共和国独立宣言

フィリピン革命の中で、アギナルドは一時香港に亡命していましたが、1898年に米西戦争が勃発すると、アメリカの援助を受けてフィリピンに帰国します。アメリカ軍に協力してスペイン軍と戦い、1898年5月24日にはフィリピン独立戦争の再開を宣言しました。

そして歴史的な瞬間が訪れます。1898年6月12日、アギナルドはカビテ州カウィットの自宅で、フィリピン共和国の独立を正式に宣言しました。

この日は現在もフィリピンの「独立記念日」として祝われています。独立宣言時には初めて国歌が演奏され、香港では要人の夫人たちによって作られていた国旗が掲揚されました。

アギナルドは「独裁政府」大統領に就任し、アジアで最初の共和国の指導者となりました。この出来事は、300年以上に及ぶスペインの植民地支配からの解放を意味していました。しかし、彼らの喜びはそう長くは続きませんでした。

エミリオ・アギナルドの人生:アメリカとの戦い

米西戦争でアメリカが勝利した後、1898年12月のパリ条約によって、スペインはフィリピンをアメリカに2000万ドルで売却しました。アギナルドたちは、アメリカがフィリピンの独立を認めるものと期待していましたが、アメリカはフィリピン共和国を認めず、軍政下に置きました。

これによりアギナルド率いるフィリピン共和国(マロロス共和国)は、今度は新たな支配者アメリカに対して戦いを開始することになります。1899年2月、フィリピン=アメリカ戦争(米比戦争)が始まりました。

しかし、当時世界最強の軍事力を誇ったアメリカとの戦いは苦難を極めました。1899年3月末には首都マロロスが陥落し、その後アギナルドは北部ルソン山岳地帯に追い込まれて指揮能力を失っていきます。

そして、1901年3月、ついにアギナルドは逮捕されました。アメリカは1902年7月4日に平定宣言を行い、革命は終わりを迎えます。

このように、アギナルドの夢見たフィリピン独立はいったん挫折しますが、彼の革命精神はフィリピン国民の心に深く根付き、後の独立運動へとつながっていきました。

最終的にフィリピンが完全な独立を果たしたのは、1946年7月4日のことでした。

アギナルドは1964年2月6日、94歳でケソン・シティにて逝去するまで、フィリピンの激動の歴史を見届けました。

エミリオ・アギナルドの聖地

Emilio Aguinaldo Shrine(エミリオ・アギナルド記念館)

エミリオ・アギナルド記念館は、フィリピンの独立という歴史的な瞬間が刻まれた、貴重な場所です。アギナルド将軍自身の生家であり、後に彼自身によって増改築が施され、住居として使われました。

1898年6月12日、この邸宅のバルコニーから、フィリピンがスペインからの独立を宣言したことで知られています。

現在、記念館内部では、アギナルドの個人的な品々や、革命期を物語る貴重な資料が展示されており、当時について深く知ることができます。

エミリオ・アギナルド大学の特徴

エミリオ・アギナルド大学(Emilio Aguinaldo College、略称EAC)は、フィリピンのマニラ湾に近いパコというエリアに位置する私立大学です。1957年に助産学校として設立され、その後1973年にエミリオ・アギナルドの名を冠して現在の名称になりました。

大学の主な特徴を解説します。

多様な学部(major)と国際的な認証獲得

EACは、医学、薬学、看護・介護士など医療系の学生を中心に養成している中堅大学です。

高等教育委員会から「自律的地位」を付与され、フィリピン大学認定委員会(PACUCOA)からは最多認定プログラム保有校として認定されています。

また、品質管理システムはISO 9001:2015規格に認証されており、世界作業療法士連盟から作業療法学士課程の国際認定も受けています。

学習環境の豊富さと実践的な教育

EACでは学生に実際の職場状況に参加する機会を提供しています。

医療系学生はメディカル・センター・マニラで実地訓練を受け、ホスピタリティ・レストラン経営学生はパール・マニラ・ホテルでトレーニングを行います。

犯罪学専攻の学生は国家捜査局やマニラ警察地区での研修が可能で、経営学部の学生は民間の仲介業者や会計事務所の専門家と協力します。

施設の充実度

大学はすべての教室に空調を完備し、充実した蔵書を持つ図書館、科学・コンピューター・スピーチなどの実験室を学生に提供しています。

また、オリンピックサイズのスイミングプール、体育館、バスケットボールコート、フィットネスセンター、屋内ランニングトラック、最新の劇場を備えた7階建てのスポーツ・文化センターもあります。

最近では、医療系プログラムやホスピタリティ・レストラン経営プログラム向けのシミュレーション実験室も追加されました。

国際的な学生交流

EACは2006年から国際化に取り組み、台湾や中国から医学部への留学生受け入れから始まり、現在では南アジア、アフリカ大陸、タイ、インドネシアなどからの留学生が増加しています。

中国の齊齊哈爾大学や南陽医学院との連携に続き、インドネシア大使館の仲介でインドネシア、タイ、ネパール、インドの高等教育機関との連携も確立しています。

エミリオ・アギナルド大学の学校生活・周辺環境

キャンパスの立地と雰囲気

エミリオ・アギナルド大学のマニラキャンパスは、多くの大学が集まる「ユニバーシティベルト」と呼ばれるエリア内にあります。

マニラ湾から近く、夕日の景色で有名なマニラベイウォークやオーシャンパークなどの観光スポットにも容易にアクセスできる便利な場所に位置しています。

建物は美しくモダンな設計で、施設は清潔で整備されています。

キャンパス内では多様な学生が行き交い、特に医療系学部にはインドからの留学生も多く見られます。学生たちは勉強だけでなく、オリンピックサイズのプールや体育館、ジムなどで体を動かすこともできます。

学生イベントと課外活動

大学ではスポーツ大会や文化祭などの様々なイベントが開催されます。

フィリピン全国大学競技連盟(NCAA)の正会員として、2015年以降多くのスポーツ競技に参加しています。また、音楽鑑賞プログラムや文化活動も充実しており、学生は勉学以外でも充実した時間を過ごせます。

長期休暇は、第1セミスター終了後の12月~1月初旬と、第2セミスター終了後の6月~7月に設けられています。

安全対策

EACでは学生の安全を最優先事項としています。

各建物にはセキュリティ要員が配置され、電子IDシステムを使用して学校の敷地や建物に入るすべての人物を審査しています。さらに、キャンパス近くには地域警察の詰め所もあり、学生や保護者に安心感を提供しています。

周辺施設とアクセス

大学の周辺には多くの便利な施設があります

UNスクエアモール(大型ショッピングモール):徒歩3分

SMシティマニラ(大型ショッピングモール):車で10分

マニラベイウォーク(高級ホテル&カジノ):車で10分

パコエリアは開発が進んでおり、交通手段も充実しているため、学生の通学にも便利です。マニラの中心部に位置しているため、多くの文化的・商業的施設にアクセスしやすい環境です。

まとめ

エミリオ・アギナルド(1869-1964)は、フィリピンの革命家であり、フィリピン第一共和国の初代大統領として知られる重要な歴史的人物でした。

彼はスペインからの独立を勝ち取りましたが、その後アメリカとの戦いに敗れ、フィリピンの完全独立は後の世代に託されることになりました。

彼の名前を冠したエミリオ・アギナルド大学は、1957年に設立された医療系に強い中堅私立大学で、マニラの中心部に位置しています。

充実した施設と実践的な教育プログラムを提供し、多くの学生が医療系をはじめとする様々な分野で学んでいます。多様な国籍の学生を受け入れ、国際的な環境の中で質の高い教育を実現しています。

フィリピン独立の父として歴史に名を刻んだエミリオ・アギナルドの精神は、現在も大学の教育理念の中に生き続けています。彼の物語とレガシーを通じて、フィリピンの歴史と文化への理解を深めることができるでしょう。

フィリピンを訪れる際は、ぜひアギナルドの功績を称えた場所や、彼の名を冠した大学を訪問してみてはいかがでしょうか。過去と現在がつながる貴重な体験ができるはずです。

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